大阪は北新地のシガーバー「スーペルノーバ」。最優秀賞受賞Barで熟成シガーとキューバのラム酒やカクテルで優雅なひとときを。

ニッカ セッション(NIKKA SESSION)

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ニッカ セッションは、ニッカウヰスキーが2014年の「ザ・ニッカ」発売以来6年ぶりとなる新ブランドウイスキーです。ニッカウヰスキーが保有するスコットランドの「ベン・ネヴィス蒸留所」などで製造された、華やかな香りが特徴のスコットランドのモルト原酒と、日本の「余市蒸留所」「宮城峡蒸留所」で製造された、ふくよかな味わいとビターな余韻が特徴の日本のモルト原酒をブレンドしたウイスキーです。

次世代のプレミアムウイスキーをイメージして新しく造られたのがこのニッカ セッションで、ブレンドされたスコッチウイスキーの原酒は15~20種類ほど。その中でも、スペイサイドの原酒比率が高くなっています。味わいに感じるほのかなピート香は、余市、ベン・ネヴィスの持つハウス・スタイルを感じます。原酒の構成としては、4~5年の若い原酒から、中心になるのは7~12年、30年以上の長期熟成の原酒も使用しています。

ニッカウヰスキーは、日本を代表する洋酒メーカーの一つであり、アサヒグループの機能子会社です。創業者の竹鶴政孝がスコットランドでの研修を経て、本格的なウイスキー製造を日本にもたらしたことから始まり、以来、独自の製法と伝統を守りながら、数多くの銘柄を生み出しています。1934年に設立されたニッカウヰスキーは、北海道余市郡余市町と宮城県仙台市青葉区に蒸溜所を有しています。海外では英国のグラスゴー北部のフォート・ウイリアムスに蒸留所があります。日本におけるジャパニーズウイスキーのパイオニアとして知られており、その高品質なウイスキーは世界中で高い評価を受けています。

竹鶴政孝は2014年NHK、朝の連続テレビ小説「マッサン」のモデルになり、「日本のウイスキーの父」と言われています。竹鶴は日本人として初めて本場スコットランドでウイスキーを学び、日本で理想のウイスキーづくりにその生涯をささげました。

1894年、広島県竹原で生まれ、大学を卒業後、「摂津酒造」に入社、社命によりスコットランドに留学、ウイスキーづくりを学んで帰国しました(そのときに奥さまのリタさんを連れて帰られました)。

帰国した日本は大正の大不況下で、摂津酒造はウイスキーづくりのための経済力がなく、本人は会社を辞めることになりました。その後、1923年「寿屋」(現サントリー)に入社し、山崎の地で原酒製造工場をつくり工場長になりました。11年後、「寿屋」を退社、1934年7月2日、ニッカウヰスキーの前身となる「大日本果汁株式会社」を北海道余市に設立しました。「大日本果汁」の「日」と果汁の「果」をとって「ニッカ」という名前で商標登録し、「ニッカ林檎汁」を翌年発売しました。これは、ウイスキーは製造開始から出荷まで数年かかるためで、余市周辺の特産品だったリンゴを原料に、リンゴジュース、リンゴワイン、リンゴゼリーなどを製造・販売していました。

しかし、竹鶴の品質へのこだわりはリンゴジュースにも及び、高価な果汁100%ジュースしか出荷しなかったのであまり売れなかったと言われています。ニッカウヰスキーによれば、日果林檎ジュースは製品化された日本初の果汁100%リンゴジュースです。

1952年「ニッカウヰスキー」に商号を変更し、1963年カフェ式連続式蒸溜機(カフェスチル)を日本で初めて英国から導入し、グレーンウイスキーをつくりました。1969年に仙台工場竣工、1977年には栃木工場を竣工し、竹鶴政孝はその翌々年に亡くなりました。

また、ウヰスキーの「ヰ」は、現在はあまり使われていない古いカタカナですが、当時は「井」の代わりに使われることがありました。「井」には「水が命」という意味があることから、竹鶴がウイスキー造りにとって重要な水へのこだわりを込めたと言われています。

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