大阪は北新地のシガーバー「スーペルノーバ」。最優秀賞受賞Barで熟成シガーとキューバのラム酒やカクテルで優雅なひとときを。

シャトー・マルゴー(Chateau Margaux)

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シャトー・マルゴーはメドック格付けでシャトー・ラフィット、シャトー・ラトゥールに次ぐ第1級第3位に選ばれた5大シャトーの一つです。5大シャトーの中で最も“女性的”と言われており、華やかな香り、口当たりの滑らかさ、しっかりしたボディと繊細さを備えた味わいから「ワインの女王」、「ボルドーの宝石」と讃えられています。芳醇で優美なとてもエレガントなワインで、熟成すると豊かな香りが驚くほど複雑なものとなり、まるで年を重ねて美しさを極めた貴婦人のように、バランスのとれた、芳しく魅惑的なワインとなります。

シャトー・マルゴーが歴史上最初に文献に登場するのは12世紀で、当時は「ラ・モット・ド・マルゴー」の名で呼ばれていた農園でした。シャトー・マルゴーは数々の貴族の所有となりましたが、1570年代にピエール・ド・レストナックという貴族が所有者となったことが一つの転機でした。メドック地方がワインの産地として発展すると予測した彼は、1572年から1582年の間にシャトーの穀物畑を縮小してブドウ畑を増やしたのです。そしてワインの生産に力を入れ、現在のシャトーの礎を築いていきました。18世紀初めまでにシャトーの敷地は現在と近い広さにまで拡大しました。また、ワイン造りに関して数々の先駆的な改革も行われ、当時のブドウ畑では赤用と白用のブドウが混植されていましたが、それを一番最初に分けたのはマルゴーでした。

18世紀末期、シャトーは革命政府に没収されてしまいますが、1801年ド・ラ・コロニラ侯爵の手に渡ると、当時一流の建築家ルイ・コンブに依頼し、エチケットの絵柄にもなっている壮麗なギリシャ神殿風のシャトーの建物を1810年に完成させました。

1855年のパリ万国博覧会の際にメドックのワインの格付けが実施された時、シャトー・マルゴーはブラインドテイスティングで唯一20/20点を獲得しました。

1934年、シャトーはボルドーのワイン商であるジネステ家の所有となり、セカンドラベルを導入したりブドウ畑の拡大、醸造設備への投資にも熱心に取り組みます。しかし、1960年から1970年代にかけて一時期その名声を落としてしまうことになり、1973年から1974年の「ワインの大暴落」の際に大きな損失を出すこととなりました。1976年にジネステ家からシャトーを買い取ったのはギリシャ人事業家のアンドレ・メンツェロプーロスです。彼はボルドー大学の醸造学者エミール・ペイノーを技術顧問に迎え、シャトー・マルゴーの名声を取り戻していきました。1980年に亡くなった後は娘のコリーヌ夫妻と総支配人ポール・ポリタリエの手によってシャトーは現在もその品質、評価を上げています。

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